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ヴァン・C・ゲッセル
わたしは1950年代から60年代にソルトレーク・シティーでプロテスタントとして育ちました。家族はとりわけ教会に熱心だったわけではありませんが,自分の救い主としてのキリストを信じていました。熱烈な反モルモンだったわけでもなく,二度ほど,モルモン教徒は善い人たちだけれど,ジョセフ・スミスを「礼拝する」のは間違いだと言ったことがありました。わたしは,イエスが自分の救い主であること,そしてモルモンの信仰が間違っているという前提を疑わずに成長しました。
13,4歳の頃には,気が向いたときに新約聖書の,おもに福音書を読むようになっていました。聖書を読んだり,日曜日の説教を聞いたりしているうちに,神が神であるためには基本的に二つの要件が必要だと思うようになりました。すなわち,神はその子らにあまねく公平で,わたしたち一人一人を愛し,わたしたちの生活をほんとうに心にかける御方であるはずだという,2点です。
10代半ばのあるとき,青少年の日曜学校のクラスに牧師がやって来て,質疑応答の時間を持ったことがありました。友人が,アフリカなどに住んでいてイエス・キリストについて生涯聞く機会のない人たちはどうなるのかと質問しました。牧師の答えはわたしの脳裏に焼きつけられました。「残念ですが,皆地獄に行きます。」もちろんそれは,愛に満ちた神についてわたしが考えていた二つの要件に反するものでした。その日から,わたしはいわゆる「あまり活発でないプロテスタント」になりました。
その後目的もなく過ごしていた時期に,末日聖徒の友人がジョン・A・ウイッツォー著のA Rational Theology(『合理的神学』)という本を貸してくれました。 うやうやしくベッド脇のテーブルの上に置いたものの,手に取って読むことは一度もありませんでした。そのまま数年の時が流れ,その間,そこからずっとわたしを見上げ続けていたその本の題名がやがて頭から離れなくなっていきました。今思うに,それが18歳のときに,回復された福音の教えに出会う備えとなったのです。なぜなら,突き詰めれば,わたしが宗教に求めていたのは合理性であり,神はその子ら一人一人のために,そのひとり子を賜わったほどこの世を愛してくださったのだと確認することだったからです。
高校を卒業してすぐの夏,優しい友人の誘いで,モルモン書をひもとくようになりました。読み始めたところ興味がわき,深夜疲れてうとうとし始めても本を置こうとは思いませんでした。そこで,階下に駆け下り,自分で初めて(そして最後の)コーヒーを沸かして,眠気覚ましにそれを飲みながら読み続けたのです。モルモン書には興味をそそられましたが,正直なところ,最初の数日に読んだ箇所からは求めていた答えは見つかりませんでした。
それから第三ニーファイを読み始めたのです。神は,より大いなる知識を授けるために,前もってわたしを優しく備えておいてくださいました。救い主がエルサレムの弟子たちに向かって訪れなければならない「他の羊」がいると言われた,その一見不可解な言葉に,年少だったわたしの注意を引きつけてくださっていたのです。第三ニーファイ第15章21節の「『この囲いにいない他の羊……』とわたしが言ったその羊とは,あなたがたのことである」という聖句を読んだとき,めったにない,心躍る,純粋で衝撃的な啓示を受けたのです。それは,それまで散在していた数多くの真理のかけらが明らかな調和の下に一つにまとまった瞬間でした。その一つの聖句がわたしのあらゆる疑問と神への切なる思いに答えを与えてくれたのです。そして,歴史上のいかなる時の,いかなる場所にいる人でも,神は確かにその子らを知っておられ,さらに重要なことに,彼らを心にかけておられるということを教えてくれたのでした。神が預言者を通して福音の真理を子らに知らしめることと,預言者の活動範囲はガリラヤにとどまらないことも教えてくれました。また,神の究極の,絶対的公平さについてさらに学ぶために,わたしを備えてくれたのです。それは宣教師が救いの計画を説明してくれたときのことでした。神は生者にとっても死者にとっても等しく神であられ,主がお気づきになられずにその指の間からこぼれ落ちる人はだれ一人としていないことを教えられたのです。そして,主が理性の神であって,永遠の標準を維持しつつも,わたしたち一人一人が,主がわたしたちに望んでおられることを知る機会を得るまで最後の審判を保留しておられるのだと確信することができました。
40年以上前,わたしは否定することのできない御霊の証を受けました。その後,あの最初の,稲妻のような証を確認する啓示を数えきれないほど受けてきましたが,あの最初の経験を思い返し,かみしめることがよくあります。信仰が試されているときは特にそうです。これまでの経験から,信仰の試しは,信仰を揺るがすためでなく,もっと強固にするために与えられることを学びました。そして,もし主に「心の中で〔主に〕叫び求めた夜を思い出し」,自分が真実であると知っていることをしっかりと守っていれば――たとえあらゆる小さなジレンマや問題を解決する答えがなかったとしても――神は「この件について〔わたしの〕心に平安を告げ〔て〕」くださいます(教義と聖約6:22-23)。
神は公平で,愛に満ち,すべての子らを心にかけて案じてくださる御方であるという,10代の後半に受けた基本的な証は,プライベートでも職業上でも,後に直面した様々な経験で支えとなってくれました。大学院入学を翌日に控えた夜,妻が初めて妊娠した子が思いがけず双子で,しかも早産だと知らされました。わたしたちが思い描いていた生活が目の前で音をたてて崩れていくように感じました。息子たちは二人とも危篤状態で,呼吸装置の助けを借りて息をしていました。わたしたち夫婦は,たとえこれ以上の教育をあきらめざるを得なくても,彼らの命が助かるよう主に願い求めることしか念頭にありませんでした。9日間にわたって,わたしたちは二人のために昼夜を問わず祈り,彼らの命を助けてくださるように主に嘆願し,請い願いました。そして10日目の夜,「御心が行われますように」と祈りの言葉を変えたときに初めて,主はその腕で温かくわたしたちを包み,双子の一人はわたしたちのもとに残されるけれども,もう一人は主の元に戻ると教えてくださったのです。生存した息子とそっくりな男の子といつか再会できると知っていることが,わたしたちに言葉にできないほどの慰めを与えてくれました。
日本文学の博士号を取得すると,わたしたちは教育界という荒野をさすらう旅に出ました。母校のコロンビア大学で1年,ノートルダム大学で2年,カリフォルニア大学バークレー校で8年,そしてブリガム・ヤング大学ではもう20年以上になります。そんな曲がりくねった道を導いてくれる霊的なGPSなどあろうはずもなく,わたしたち家族は,わたしたちの必要をわたしたち以上に知っておられる個人的な神を信頼して進んできました。コロンビア大の職を失ったことが結果的に自分の益になろうとは,だれが予知できたでしょうか。ノートルダム大という宗教法人を経営母体とする大学で勤務した経験が後にBYU で教鞭を取る備えになろうとはだれが知り得たでしょうか。また,バークレー校における2度の終身在職権審査(1度目は不合格,2度目は合格)を通して主に教えられたことが,BYUプロボ校の人文学部長として教員たちの書類審査に携わる備えであったとはだれが予知できたでしょうか。
後になってみれば分かる,そのような数々の経験で証が強められただけではありません。主の深い憐れみにより,ビショップ,ステーク会長,伝道部会長といった神権の鍵を伴う召しにも備えられました。そして,わたしが教え導くように召された人々に主の愛と御心を伝えられるよう,文字通り途切れることなく御霊の導きを受ける特権を与えてくださったのです。そのような召しを受けていた期間に,わたしはだれかと一対一で話し合っているときに,幽体離脱して自分の様子を客観的に見てみたいという衝動に駆られることがよくありました。主がわたしを御手の器として使い,シナイ山の上でモーセになさったように,天の神がわたしの思いと言葉を支配して,明瞭に,力強くわたしの(正確に言えば主の!)囲いの羊の一人に語りかけておられたからです。あまりに神秘的で,チャネリングのように聞こえるかもしれません。しかし,主がその愛をしもべらに示される現実の方法を,ほかにどんな比ゆ的描写をもってしてもわたしには 十分に表現できるとは思えないので,ご容赦ください。わたしは祝福されて主の普遍の愛を感じることができただけでなく,それを人に伝えるというすばらしい特権に浴してきました。
このように多くの証が与えられてきたのに,主が存在するか,主は心にかけておられるかと疑うことなどできるでしょうか。肉の目で主を見ても今以上に知ることは不可能です。霊の目で主を見,親しく語り合ったからです。わたしにとって,主の「完全な」福音の正確な意味は,それがあらゆる場所で,あらゆる時代に,いつまでも,終わりのない世まで生を受ける主の子ら一人一人に完全に及ぶということに尽きます。主はわたしを知っておられ,わたしに対して公平であられます。わたしを心にかけてくださるがゆえに御子を送られ,福音を回復してくださいました。主はわたしの神,わたしの王であられます。
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ヴァン・C・ゲッセルはカリフォルニア州コンプトンで生まれ,ユタ州ソルトレーク・シティーで育った。1968年10月にソルトレーク・シティーにて改宗。1970年から1971年,日本で伝道する。1979年,コロンビア大学より日本文学で博士号を授与される。コロンビア大学,ノートルダム大学,カリフォルニア大学バークレー校,ブリガム・ヤング大学で教鞭を取る。ブリガム・ヤング大学アジア-中近東言語科長,人文学部長を歴任。
ゲッセル博士は日本のクリスチャン作家として知られる遠藤周作の著書から,『侍』や『深い河』を含む6作を翻訳出版している。博士の翻訳による『女の一生<第一部・キクの場合>』も近日出版される。リード・ニールソンと共同編集したエッセー集Taking the Gospel to the Japanese: 1901 to 2001は最優秀国際モルモン歴史書としてモルモン歴史協会よりジェラルディン・マクブライド・ウッドワード賞を受賞している。The Showa Anthologyを共同編集し,J・トーマス・ライマーと共同編集したThe Columbia Anthology of Modern Japanese Literatureを発行している(第1巻を2005年,第2巻を2007年)。
教会においてはBYUの独身ワードのビショップ,同じくBYUの独身ステーク会長を務めた。2005年から2008年にはオレゴン州ポートランド伝道部会長の任にあった。妻のエリザベス・ダーリー・ゲッセルとの間に3人の子供がおり,5人の孫に恵まれてい
る。2010年5月投稿。